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日本三大祭り

  1. 祇園祭

    (祭日:7月1~28日。京都府京都市八坂神社)

    およそ1100年前の平安時代に始まる疫病退散の祈願会。大阪の天神祭と東京の神田祭とともに日本三大祭にも数えられている。7月に入ると約一月の間、祭りの行事が続く。中でも17日に行われる山鉾巡行はまつりのクライマックス。32基の豪華な山鉾が曳手に曳かれて四条烏丸から市内を周回する。途中に行われる辻回しや注連縄きり(しめなわきり)・くじ改めの儀式は、祭りのハイライトでもある。

    八坂神社は新羅の神である素盞烏尊(すさのおのみこと、牛頭天王)を祀った神社だ。八坂神社の由緒記略には、齊明2年、高句麗から伊利之使主が新羅の牛頭山にある素盞烏尊の神主を京都(山城国八坂鄕)に持ってきて祀るようになり、伊利之は王室から八坂造(やさかのみやつこ)という名字をもらったという内容が書いてある。NHKは1996年5月20日、八坂神社は高句麗大社とも呼ばれたと放送したのはこの理由からだ。もともと祇園寺だったのを八坂神社に変えた理由は半島の影響を受けたことを消すためだろうか、しかしまつりの名前までは変えられず京都の人たちはいまだに八坂神社とは呼ぶ代わりに皆祇園さんと呼んでいる。「まつり」は天から降りて来る神を向かえる意味の韓国語「강신(降神)맞으리」からできた言葉である。神を祀った神輿を背負ってワッショイ、ワッショイと叫びながら町を練り歩く。このワッショイも神が来た(오셨다:お出になった)とういう意味の韓国語。(風習事典:重金碩之、啓明書房 1981年)

  2. 山王祭

    (祭日:6月15日。東京都千代田区日枝神社)または神田祭(東京都神田明神)

    寛永年間(1624~1644)に始まった祭りの威容を今に伝える本祭は隔年で行われる。

    「神田祭」と隔年で神幸祭(しんこうさい)が行われる。日枝神社は徳川将軍家の産土神(うぶすながみ)であったので、江戸時代は「天下祭」と称された。山車やお練りが、江戸城内まで繰り込んだ。明治維新後は衰退し、今では三基の鳳輦(ほうれん)を中心とする神輿行列が都心を回るだけである。「神田祭」が威勢のいい神輿と掛け声で、江戸下町の庶民の祭りであるのに比べ、「山王祭」は美しい時代衣装をまとった華麗な祭りとなっている。烏帽子(えぼし)・かりぎぬ(狩衣)・ひたたれ(直垂)など、古式ゆかしい衣装の氏子たちが雅楽を奏しながら練り歩く。

  3. 天神祭

    (祭日:7月24,25日。大阪市天満宮)

    平安時代に始まる大阪随一と言われる夏祭り。24日は宵宮祭り(よいみやまつり)から始まり、鉾流(ほこながし)神事を終えると、地車囃子が鳴り響く大阪天満宮へは続々と神輿が到着し、花娘による傘踊りも披露される。25日のメインは陸渡御と船渡御。無事を祈る神霊移霊祭の後、陸渡御が催太鼓を先頭にスタートし、神鉾(かみほこ)や山車、御鳳輦(ごほうれん)などが続く。船渡御は日も暮れ始めた午後7時ころから。川面を篝火で照らし、様々な船が行き交う中、御鳳輦船では水上祭りが行われる。夜空には花火が打ち上げられ、祭りの興奮もピークになり、やがて御鳳輦は天満宮に戻り、還御祭で祭りを終える。

祭りの歳時記

江戸三大祭り

  1. 山王祭(↑)

  2. 神田祭

    (祭日:5月15日に近い土・日曜日を中心に6日間。東京都千代田区神田明神)

    江戸時代前期に江戸市中をあげての盛大な祭りとなり江戸城内で将軍上覧をうけた天下祭になる。

    江戸時代前期から、天下祭といわれる歴史を持つ。神田神社の夏祭りであり、本祭りは「山王祭り」と隔年で行われている。二つの祭りが交互になったのは、天和元年(1681)以来である。まず、鳳輦(ほうれん)神輿遷座(せんざ)祭などがある。3日目、3基の鳳輦神輿による神幸祭(しんこうさい)の行列が、氏子町内の30数キロを一日がかりで練り歩く。また、70基に余る町内神輿が、宮入のため威勢よく境内へ繰り込むのも壮観。かつては、神輿に続き30数台の山車や練り物が出ていたという。

  3. 三社祭(祭日:5月18日に近い金・土・日。東京都台東区浅草神社)

    正和元年(1312)から三社の神話にもとづき始められた江戸第一の荒祭りは、浅草の人たちの血を湧かせる。

    かつては三社権現(ごんげん)と呼ばれていた浅草神社の祭礼である。100を超える町内神輿の連合渡御(とぎょ)だが、最高の盛り上がりは、巨大な三基の本社神輿の宮出しであろう。担ぎ手と見物人で境内は興奮のるつぼと化す。拝殿では、「びんざさら舞」と呼ばれる田楽芸(でんがくげい)や獅子舞が行われる。びんざさらは「種蒔き(たねまき)」「肩揃え(かたそろえ)」「鳥馬口(ちょうまぐち)」「蹴合い(けあい)」で構成される。一時中絶していたが、1955年に復活した。金曜日は、古式の「びんざさら舞」の奉納。土曜日は、氏子(うじこ)町内神輿の連合渡御。日曜日は、本社神輿三基の宮出しとなる。

京都三大祭り

  1. 祇園祭(↑)

  2. 葵祭(あおいまつり。祭日:5月15日。京都府京都市下鴨神社・上賀茂神社)

    平安時代のはじめ、嵯峨天皇の御世(みよ)からの祭礼。平安時代より続く賀茂御祖神社(かものみおやじんじゃ、下鴨神社)と賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ、上賀茂神社)の例祭。宮中の儀、路頭の儀、社頭(しゃとう)の儀の三つの祭儀から成るが、現在は宮中の儀は行っていない。路頭の儀では、勅使(ちょくし)や検非違使(けびいし)などが平安朝の貴族の姿を再現して市街を進む優雅な行列が見どころ。京都御所を出発し、下鴨神社を経由して上賀茂神社まで約8キロの行程(こうてい)を行く。社頭の儀は、行列が下鴨神社・上賀茂神社に到着した際の儀式で、神馬の引き回しや「東遊び(あずまあそび)」の舞などが奉納される。

  3. 時代祭(祭日:10月22日。京都府京都市平安神宮)

    明治28年(1895年)に始まる。平安遷都から明治維新までの華麗な風俗絵巻。祭りを司る平安神宮の創建は平安遷都1100年を記念した1895年のことだが、同時に平安神宮の大祭として時代祭を、桓武天皇(かんむてんのう、737~806)が長岡京から平安京に遷都された10月22日に執り行うこととした。祭り当日は京都御所から平安神宮までを行く時代風俗行列が見ものである。明治時代の維新勤王隊(きんのうたい)や江戸時代の徳川城使上洛隊、平安時代の婦人列など、各時代の風俗を再現する出で立ちで2000人以上もの列が市中を練り歩く。行列の途上には、有料の観覧席も設けられている。

京都三大奇祭

  1. 鞍馬(くらま)の火祭

    (祭日:10月22日。京都府京都市由岐神社)

    1000年以上前から受け継がれた世を鎮める火祭行事。午後6時頃、祭りの始まりを告げる神事触れ(しんじぶれ)を合図に、鞍馬の里の家々には篝火(かがりび)が焚かれる。小さな松明(たいまつ)を持った子ども達が歩き始めると、やがて燃え盛る大きな松明を担いだ青年たちが、「サイレイ、サイリョウ」の掛け声も高らかに、町を練り歩く。松明の大きさは約4メートルで重さは100キロほど。午後9時頃には数百もの松明が由岐(ゆき)神社に集合し、松明の火が夜空を焦がす中、注連縄伐り(しめなわきり)の儀式や2基の神輿の渡御(とぎょ)が行われて祭りは最高潮に達する。平安時代に由岐神社の祭神(さいじん)を、御所から鞍馬に迎えた際の様子を再現したと伝えられ、京都の三大奇祭の一つでもある。

  2. 今宮やすらい祭

    (祭日:4月第2日曜日。京都府京都市今宮神社)

    平安時代にまでさかのぼる鎮火祭。京都三大奇祭に名を連ねるこの祭りは、花が散るとともに病を振りまく疫神(えきじん)を鎮めることを目的に行われてきた。その始まりは平安時代にまでさかのぼり、当時は桜の花が終わる頃に町中に疫病(えきびょう)が蔓延(まんえん)したため、人々が疫病の鎮静化を祈って祭りを始めた。祭り当日は、花傘を中心にして赤や黒などの鬼に扮装した氏子たちが、鉦(かね)や太鼓を激しく打ち鳴らし、踊りながら町内を練り歩く。花傘の下は厄払いになるということで、見物客までもが傘の下に入る光景が見られる。

  3. 太秦の牛祭

    (祭日:10月10日付近 ※毎年は行なわれていないので、開催するかどうかは問合せが必要。京都府京都市広隆寺)

    夜、篝火だけを灯りに行なわれる祭で、国家安全・護国豊穣・悪魔退散を祈願する祭り。仮面をつけ、牛にまたがった摩多羅神が、同じく仮面をつけた四天王(赤面と青面の鬼、各二人)を従えて境内などを練り歩く。その後、薬師堂前で長い祭文を読み上げた後、堂内に駆け上がり堂の扉を閉めて牛祭は終わる。祭りの由来は、1012年、比叡山の恵心僧都が広隆寺の本尊を拝するようにと夢を見て、広隆寺に詣でて祈祷法会を行なったのが起源とされている。明治維新後、一時期祭が行なわれないようになったが、富岡鉄斎画伯が再興した。現在、牛祭は不定期にしか行なわれないが、牛祭が行なわれる時にはこの富岡鉄斎画伯がデザインした摩多羅神と赤・青面の鬼の仮面が使われる。

大阪三大祭り

  1. 天神祭(↑)

  2. 愛染祭り

    (あいぜんまつり、祭日:6月30日~7月2日。大阪府大阪市勝鬘院愛染堂)

    縁結び・商売繁盛にご利益があると知られる勝鬘院愛染堂(しょうまんいんあいぜんどう)の夏の祭り。天神祭、住吉祭とともに大阪三大夏祭りの一つ。初日には浴衣姿の愛染娘12人を、愛染かつらの花などの造花(ぞうか)や紅白の布で飾った宝恵駕籠(ほえかご)に乗せて、JR天王寺駅から勝鬘院まで練り歩く。「ホ・エ・カッ・ゴ~」の掛け声が谷町筋に響き、祭りを盛り上げてくれる。期間中は愛染明王と大日大勝金剛尊が特別に開帳されており、連日芸能大会や祭囃子も演じられる。浴衣での参詣者(さんけいしゃ)が多いことで、浴衣祭りとも呼ばれている。

  3. 住吉祭

    (祭日:7月30日~8月1日。大阪府大阪市住吉大社)

    無形文化財指定である夏越祓神事では、華麗に着飾った夏越女・稚児らが茅の輪 (ちのわ) をくぐる儀式が行なわれる。五月殿 (さつきでん) で大祓式が行なわれたのち、一般市民も参加して本宮に参進しながら、茅の輪をくぐること3度。茅の輪をくぐるときには「住吉の夏越 (なごし) の祓する人は千年 (ちとせ) のよはひのぶといふなり」という和歌を口ずさむ。第一本宮で祭典が行なわれ、熊野舞や住吉踊りが披露される。茅の輪は、住吉祭の終る8月1日の夜まで住吉鳥居に設けてあるので、参拝の折には必ずくぐり、お祓いをすること。

東北三大祭り

  1. 秋田竿灯

    (祭日:8月3~6日)

    宝暦年間(1751~1764)の「ねぶし流し」が原型といわれる。真夏の病魔や邪気を払うための「眠り流し」という行事が原型で、寛政元年(1789)の津村淙庵(つむらそうあん)の紀行文には陰暦7月6日のねぶし流しの記録があり、そのとき既に秋田独自の風俗として長い竿(さお)に灯火を多く付け、太鼓を打ち鳴らして町を練り歩くという風景が紹介されている。旧暦盆祭りと一緒に行われ、夜7時から目抜き通りを中心に、大小の竿燈(竿灯)が立ち並ぶ。大きいもので巻頭46個、重さは50キロにもなる。それらを手から肩、腰へと動かしていく妙技はまさに圧巻。秋田の祭りで、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。

    ※竿灯は稲穂だそうだ。たっぷりと実った豊作の年の稲穂である。米粒に見立てられた提灯が、竿竹の上に何列も並ぶ。提灯の明かりは、以前はろうそくだったのだろうが、今は丸い人工の明かりを使っている。だが、その色は自然の火に近く、提灯ばかりか、見ている人の顔までやさしい色に染める。竿灯の数は、230本ほど。通りを揺らめきながらゆったりと流れていく。この輝く稲穂は、大きいものは10メートル以上、子供用の小さいものでも5メートルほどあるが、これを人間があやつって遊ぶのだから呆れてしまう。重さはそれでも5,60キロほどだという。

  2. 青森ねぶた

    (祭日:8月2~8日)

    七夕祭りの灯籠流しの変形と考えられている夏の行事。ねぶた祭りは七夕祭りが原型になっており、日本海側に似た祭りが多い。京都の祗園祭りが津軽へ伝えられたともいわれる。青森ねぶたが大きな祭りに発展したのは、享保年間(1716~1738)頃からといわれる。その当時のねぶたは祗園祭りの山車に似ていた。歌舞伎などを題材にしたねぶたが登場したのは文化期(1804~1818)とされる。現在も勇壮華麗なねぶたと囃子が青森市を彩る。国の重要無形文化財に指定されている。

  3. 仙台七夕

    (祭日:8月6~8日)

    1000年をさかのぼる歴史を持つ旧暦7月7日の行事。仙台では古くから「たなばたさん」と呼ばれており、戦国期仙台藩主伊達政宗(だてまさむね)も和歌に七夕を詠んでいる。もともと、旧暦7月7日の夜に飾り物をつけた笹竹を作り、翌朝川に流していた行事からきている。七日盆ともいい、禊(はらい?)をして盆祭りに入る準備を整えた。1927年には大規模な七夕飾りが復活し、戦争によって一時途絶えたが、1947年には復活し、以後仙台市を挙げた観光イベントへと発展していった。その飾りはまさに豪華絢爛であり、名物のくす玉をはじめ、様々な願いを込めた「七つ道具」が飾られ、商店街を賑わす。